これまでの経緯−月刊わらび 1997年11月号より−

■ デジタル・アート・ファクトリーの挑戦

 「たざわこ芸術村」に接続拠点(アクセスポイント)を置いた「きたうら花ねっと」(北仙北4ケ町村のインターネット)が開始して一年余り。この11月3日には、これまで「花ねっと」の中にあった「わらび座&たざわこ芸術村」が、独立したアドレスでホームページを開設します。
 瞬時にして世界中の人々と情報の受発信ができ、通信の世界に”革命”をもたらしたインターネット。さらに、ますます広範な分野で可能性がひろがるコンピュータ技術。
 わらび座の「コンピュータ室」が「デジタル・アート・ファクトリー」と名称をかえて一年半。これまでの仕事、これからやろうとしていることは-----。


▼ 座内パソコンのネットワーク化
 わらび座の仕事にコンピューターが導入されたのは、1984年。「業務の合理化のために、その2年ぐらい前から研究を始めてたんです。世間にパソコンが出始めた頃でした」と、責任者の長瀬一男(44歳)。当初は名簿の管理や経理の処理等が主でした。
 それが大きく飛躍するのは1995年4月。それまでのオフィス・コンピュータから、パソコンに全面切り替え。しかも建物が分散している座内のコンピューターを光ファイバーでつなぎ、ネットワーク化したのでした。秋田県工業技術センターと秋田大学鉱山学部情報工学科の援助を受けながら、自力での工事でした。
 「当時、一人一台のコンピューターを使っているところはあっても、社内でLAN(Local Area Network)を組んでいるところは、秋田県内ではほとんどなかったんですよ」
 大きなコンピューター一つに情報が集積されていくシステムから、それぞれのコンピューターの情報が共有されていくシステムへ。
 「たとえば宿泊のお客さんが来た場合、それまではフロントが何枚もの複写の用紙にデータを書き込み、厨房・サービス・配車係等々、関連部署に配っていた。パソコンがつながってからはフロントが情報を入力すると、それぞれの部署は自分のところの画面でデータが得られるわけです」
 都市公演の指定席管理や、旅公演で全国をまわる公演班と電子メールでの交信もできるようになった。

▼ インターネットへの着手
 「座内のパソコンのネットワークがあったので、その延長上にあるインターネットへの着目も早かったんです」
 1995年は秋田県内でもインターネット実現の運動が起き、「ぼくたちは光ファイバーの実績もあって、その運動の中枢に入ることができました」。そして9月には秋田大学のコンピューターを利用し、わらび座のホームページを試験的に開設。情報の受発信が始まります。
 「だけど問題は電話料金でした」
 インターネットの接続拠点(アクセスポイント)を提供している接続業者(プロバイダー)は秋田市にしかいない。従ってインターネットを利用するには、田沢湖町から秋田市までの市外電話料金がかかる。市内の数倍もの経費負担。プロバイダーは多くの利用者が見込めない地域には接続拠点をつくらない・・・・・。
 「時間と空間を超えるインターネットの利用が、片田舎に住む人間にはおいそれとできないなんて皮肉な話でしょう。このままでは情報の地域格差が広がるばっかりだ、何とかこの悪循環を断ち切らなきゃと思いました」
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